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ドナート - 第二次スーダンロケ
- 2009/04/01(Wed) -
 年に一度、多摩にある大学で授業をしている。といっても今年で2回目、テーマは
「海外に出てみよう」。イランで誘拐されていた中村さんが解放される直前、無神経
な私は海外に出るとこんな楽しいことがあるかもよ、と3コマ計1200人の新入生を前
に話をした。いくらパワーポイントを使っても、60分余を自分の体験だけで話すのは
辛い。ちょうど真ん中頃に、作家達が海外で何を考えたかを紹介した。夏目漱石から
平田オリザまで十数人の文章を引用した。
 そのうちの一つに、こんな言葉があった。
「もちろん泥棒も人殺しもいるけれど、アフリカ人は困っている人を決して見捨てな
い。アフリカ帰りの日本人には、黒人の悪口をいう人が、いっぱいいるけれども、そ
の人たちは困ったことが、とくに生活に困ったことがなく、黒人に助けられたことが
ない人たちである。」(『アフリカ33景』伊藤正孝著 朝日新聞社 1982)

 昨年6月の講義でもこの言葉を紹介した。そのときはまだ他人の言葉として学生達
に語ったと思う。今年は、ドナートのことを頭に浮かべながら話をしていた。
 
 市内での交通手段に困っていた私たちに車を貸してくれたことは前回書いた。その
車は決して余っていたわけではない。スタッフの通勤に使われていたはずだ。皆から
不満は出なかったのだろうかと、今更ながら気にかかる。到着した日の空港からジュ
バを離れるまで、ドナートは私のわがままを全て受け入れてくれた。現地語を英語に
翻訳するために、テレビのある自分の執務室を貸してくれたことや(そのため彼は秘
書の隣で仕事をしていた)、私とヨーコが警察に連行されたときに飛んできてくれた
こと。休みの日にも、何かと私達のキャンプを覘きに来る。きっとまた何かトラブル
に巻き込まれているのではと心配だったのであろう。だけど、注意めいたこと、気を
つけて撮影しろというようなことは一切言わない。

donato1

 昨年の10月、銚子で子供たちの国際交流イベントがあったとき、ドナートとウェッ
ブカメラで話をしようと無謀なことを企画した。オフィスにはインターネットがな
い。今回初めて知ったが、ジュバのネットカフェの通信速度はとても遅い。何度テス
トしてもうまくいかなかったわけだ。本番の前日、知り合いが住む宿舎からつながせ
てもらって、やっとつながった。ドナートの顔が、体育館のスクリーンに大写しに
なったとき、会場がどよめいた。テストを嫌がらなかったドナートのおかげと感謝し
た。
そのイベントをDVDにして、ドナートにプレゼントした。パソコンで見られるはずな
のに、なぜか再生できない。彼はDVDプレーヤーを早速購入した。返ってお金を使わ
せてしまったと当惑した。

 もっとも恩義を感じたのはロケも終盤にかかったころのこと、音楽の契約条件でラ
スコビと揉めたときのことである。彼には○○○ドル(プラス映画の利益の一定割合)
で曲を依頼することで話がついていた。しかしもう100ドル必要だと言ってきたので
ある。スタジオのあるイエイまでの交通費等を見込んでいなかったという言い分が彼
にもあるのだが、それまで約束の時間に電話してこない、こちらからかけてもいない
など「不誠実」な対応が重なっていたため、私はへそをまげていた。拒んだ。
 険悪な時間が流れた後、間に入ってくれたのがドナートだった。「私が100ドル払
いましょう」と言い、「ジェントルマンはこんなことで争ってはいけない」とたしな
められた。

 ドナートは40代前半、内戦中はウガンダ国境近くの町で過ごし、ポリテクで経理を
勉強したと聞いている。事務所のある市の中心部からロックシティに向かう途中に住
んでいる。一度、彼の自宅に寄らせてもらった。ロダの住む集落とは違って、一戸ご
とに敷地の境界がはっきりした住宅街に洋風の家が建っていた。叔母さんと妻、6人
の子供と暮らしている。ピーナッツの皮を剥いていた奥さんのおなかには、7人めの
子がいた。

donato2

 帰国後、ドナートからメールが届く。「HPを作ってくれる約束を忘れないで。」つ
い調子に乗って安請け合いしてしまった。それからこうあった。「子どもが生れた。
ヨーコと名づけた。」
 私も伝えなければならないことがある。ハルツームの飛行機事故のニュースを見
て、去年ウェッブカメラで君と話をした銚子の子が言っていたこと。「ドナートさん
は大丈夫かなあ」って心配していたことを。

ゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞゞ
大宮直明 OMIYA Naoaki
(写真を付けてメーリングリストNo.129から転載)

後日談:
その後マレーシアに戻ったヨーコから、おめでたの知らせが届いた。
女の子だそうで、「ドナ子」と名付けることにしたらしい。
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